記録 自分用

感じたことや考えたことを書いていきたい。

高校時代の学習による呪い

三つ子の魂百までという言葉がある通り、小さい頃の記憶や習慣はのちのちまで影響を及ぼすのだろう。個人的な意見では3歳のときの出来事というよりは思春期あたりの出来事の方がより大きな影響力を持っているように感じられるが、単にそこまで昔ではないので影響が尾を引いている程度の理由かもしれない。

自分は高校時代を振り返ると、数学の問題文をノートに書き写していた記憶がある。少なくとも受験生時代はオレンジペンで書いていた。曖昧なのはそれ以前の記憶で、なんかドリルをコピーして問題文のところをカット&ペースト(物理)していたような記憶もある。なぜ急にこんな話をし始めたかというと、現在進行形で進めている統計がの勉強でもわざわざ問題文を写しているからである。手書きで。

他人がみたら無駄だなぁとか本質は書き写せることじゃなくて解けるようになることみたいなセリフを言いそうだ。実際自分でもそう思う。なんなら他の人が同じことをやっていたらそんな感じのことを言うだろう。

でも、これは勝手なイメージであるのだが、ノートに問題文を書き写さない奴は大抵成績が悪かったような覚えがある。まぁ観測範囲の問題だろう。だからその強迫観念というか苦い記憶というかが邪魔して、問題文を書き写さずにはいられない。コピペしたいところだが近くにコピー機がない。ていうか普段ならiPad上でpdfをノートがわりにするところだが、今やっている問題集はKindle版が存在しないのだ。ほんと意味わからん。物理面で苦しめられている。

自分の思考傾向から察するに、昔は問題文を書き写すように要求する数学教師に反抗心を抱いていたはずである。ていうか抱いていた。別にそれは問題文云々ではなくもっと総合的に人間としての折が合わないことに起因していたのかもしれないが。かなり高確率で問題文書き写しを無駄だと思っていたはずである。

それが今となってはその無意味さを理解しつつも書き写すようになってしまった。ぐぬぬ。けっこう大変なんだぞ、特に散布図とか。いや知らんか。