記録 自分用

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西洋芸術史①/「西洋音楽史 「クラシック」の黄昏」

自分は高校までの音楽の授業にいい思い出はない。というか芸術関係の授業はあまねく嫌いであった。音楽も美術も書道も嫌だったし、義務教育課程の図画工作とかをこの世から消滅させるボタンがあればなんら躊躇いなく押すだろう。それぐらい嫌いだ。文化の退廃など知ったことではない。

そんな自分が音楽史の本を読んだ。

よく体育なんかで「学校でやった授業は本当に嫌いだったけど自分でやるようになって好きになった」みたいな意見がある。幸い体育は持久走以外そこまで憎んだことはないけれど(逆に体育の持久走に対する恨みは深いが、体育会系の教師が考えを改めるとは微塵も思えないのでここではその恨みは書かない)、まあその芸術版みたいなものだ。今でも絵を描いたり作曲したりするつもりはないが、当時あれほど嫌いでテスト勉強したら負けとまで思っていた文化史的なものをまさか自分から学ぶとは。我ながらずいぶんな変わりようだなと思う。単になにかに強制されるのが嫌なだけだったという説もある。マラソンにしろ、文化史にしろ。主要教科にこの傾向が発揮されなくて本当によかった。

以下本題。

この本の面白いところは、各時代の音楽が時代の趨勢や状況とリンクして語られているところだと思う。はっきり言ってなにかの拍子に話を振られて会話に困らない(こんな状況はなかなかなさそうだけれど)程度の知識なら、ニッポニカあたりを読んだほうが簡潔にまとまっていているし、短時間で理解できる。実際当初の目的は、なにかの拍子に音楽の知識をひけらかしてやろうという魂胆だったから、これでよかったのかもしれない。

しかしある種の様式がどのような考えのもと成立し、また衰退していったかを知る際には、この本のようにある程度詳しく書かれている本が適しているだろう。特に世界史で習った事項と絡んでくるのは面白い。高校時代に世界史を選んで本当によかった。まあそのかわり日本関係に苦労しそうではあるが。

 

この本の音楽史は中世のグレゴリオ聖歌からはじまる。ラテン語で単旋律、悪くいえば意味不明で単調な音楽がカール大帝によるヨーロッパの統一で独仏伊などのヨーロッパ圏に広まったらしい。

このグレゴリオ聖歌に別の声部をくっつけてアレンジしたものがオルガヌムである。時代が進むにつれアレンジがだんだんと激しくなっていき、メインとサブの声部が入れ替わったりかつてのメインが消滅したりした。

このオルガヌムが発展させたのが、パリのノートルダム大聖堂(1250年完成)に由来するノートルダム楽派である。様々なオルガヌムを体系的にまとめたレオナンと、それを改変していったペロタンが有名。いや有名ではないけど。特にペロタンの音楽はかなり自由である。この頃に音の高さだけではなく長さを記録する表記法が確立され、リズムの追求がはじまる。

ラテン語で歌われるオルガヌムに対し、フランス語で歌われるオルガヌムっぽい音楽をモテットといい、中世後期に流行した。つまりそれまでの「神のための音楽」という要素がうすれ、「人間が楽しむための音楽」という芸術になっていく。

その「人間が楽しむための音楽」というのが主流になったのがルネサンスである。ルネサンス一般の特徴として人間中心の世界観が挙げられるが、音楽もその影響を受けているわけである。具体的には15世紀の中心となったフランドル楽派や16世紀の中心となったイタリア音楽が挙げられる。

フランドル音楽とは、英仏百年戦争でイギリス流の三度の音楽(ピアノでいえば白鍵が隣合わない音の組み合わせ)がフランス周辺に流入した結果ベルギーあたりで盛んになった音楽のことであり、ゆったり大らかな曲調である。歌詞はラテン語で、ピアノの伴奏がない宗教合唱曲であり、ミサ曲ともよばれる。ここらへんの時代以降は、グレゴリオ聖歌からメロディーをとってくるのではなく世俗の音楽のオマージュをするようになり、作者が自分の名前を記録したことから「作曲家」という概念も生まれ始める。

イタリア音楽とは、対抗宗教改革中のカトリックが宗教音楽として採用した音楽のことであり、ローマやフィレンツェあたりで流行した。金管合奏曲中心で、イタリア語の曲も多い。歌詞もけっこう世俗的。この時代に和音、不協和音が発見される

この不協和音のように、歌詞だけでなく音楽で感情を大げさに表現するようになったのがバロック音楽である。バロックとはゆがんだ真珠のことで、調和のとれたルネサンスとの比較からこう呼ばれるそうだ。ここら辺からは中学でもやった覚えがある。バロックはフランス・イタリアなどカトリック圏では王のための音楽として、ドイツなどプロテスタント圏では神のための音楽として発展していった。有名なのはヴィヴァルディバッハなど。

王のための音楽であったフランスでは絶対王政を彩るような豪華な音楽が好まれた結果、オペラというジャンルが生まれた。また当時の音楽は宮廷での絢爛豪華な食事会のBGMとして発展し、音楽そのものを楽しむという色合いは薄かった。

神のための音楽であったドイツでは質実剛健な音楽が好まれ、巨匠バッハが活躍した。ただし当時のバッハは宗教色が強く地味であり、代表曲「フーガ」はルネサンス風で時代遅れとされたらしい。

18世紀中頃からは、王のためでも神のためでもない音楽、つまり市民のための音楽が生まれてくる。背景にあるのは産業革命(1760年-)で中産市民の存在感が大きくなったことである。

また同じく産業革命で合理的な思考を重んじた結果、古代ギリシャ・ローマあたりへの憧れが強まり、音楽にもそれが反映されるようになった。ここから古代ギリシャを理想とする芸術一般を古典派と呼ぶようになる。音楽ではギリシャ風の調和を重視するようになったので、この時代の音楽を古典派音楽と呼び、なかでも特にウィーンで活躍する者が多かったことからウィーン古典派というものができあがる。有名なのはハイドンモーツァルトベートーヴェンなど。

歌わずに楽器だけで演奏されるものをソナタという(例えばピアノだけで演奏されるものはピアノソナタ、ピアノとヴァイオリンならヴァイオリンソナタである)。交響曲とは複数の楽章(急な曲→ゆっくり→舞曲→急な曲という構成が多い)のうち1つがソナタ形式であるものの総称であり、いわゆるオーケストラを指す。この交響曲はこの時代にハイドンによって発明された。

バロック時代と相違点として、主題が1つしかなかったフーガに対し、古典派の音楽では2つ以上の主題が互いに干渉し合って混ざり合っていく構成になっている。またバロック時代のオペラ(オペラセリア)に対し、ストーリーが複雑で人物の描写が詳しいこの時代のオペラをオペラブッファと呼ぶ。

市民への音楽の浸透がより進んでいった結果、音楽雑誌・音楽学校・宮廷に依存しない音楽家が出現するようになる。市民向けのインパクトを求めてオーケルトラは巨大化し、楽曲は複雑になっていった(パガニーニリストなどがその代表)。またこの時代からは1つの音楽が繰り返し演奏されるようになり、「不朽」の名作が求められるようになる。これは音楽が市民に普及したことで、その場その場のパトロンの需要を満たすだけではなくなってきたことを表している。

フランス語圏ではオペラはグランドオペラとして発展し、波乱万丈でわかりやすいストーリー、重厚な演奏、大規模な舞台装置なんかが使われるようになる。

一方ドイツ語圏では相変わらず真面目で難しい音楽が好まれており、ブラームスシューマンあたりが活躍した。現代のクラシック観を形作ったこれらの堅実な音楽は普仏戦争を機にフランスにも伝わった。ドイツ側としては、貴族の子息が演奏するために簡易化された楽曲をキッチュと呼んでいたように、フランス流の軽い音楽を見下していた感がある。

古典派以降の時代の音楽をロマン派と呼ぶ。彼らの音楽は産業革命と科学により神が死んだ無味乾燥な世界の中で、漠然とした不安への受け皿となった。古典派への反発から豊かな想像力で主観的なものを重視する傾向にある。有名なのはシューベルトメンデルスゾーンワーグナーなど。またこの頃から軽いフランスの音楽と重々しいドイツの音楽というように、音楽の分断が目に見えてわかるようになってくる。

 20世紀以降の音楽はつまらなかったので書かない。

 

以下感想

よく生きている間は評価されなかったというような説明をされるけど、これはどういう意味なんだろう。本当にすばらしい作品を生み出したものの、発表する機会がなく譜面を保管しておいたとかならわかる。しかし、パリで夢破れて〜とか言われると、当時の人たちには受け入れられなかった音楽家というのもまた多そうである。例えばバッハという人は今では偉人扱いだが、生前はそうでもなかったようだ。こういう人が後世になって評価されるのは、つまり当時の聴衆はどうしようもなく音楽センスのない奴らだったということなんだろうか。個人的には、偉い人がすごいといったら大切にするし、そうでないなら無視するという聴衆の態度の結果、評価されなかったのではないかと考えている。そうすると結局芸術なんていうものは、誰か偉い人がすごいと言わない限り評価されないという、ひどく権威主義的なものに思えてきてしまう。これは絵画の方がより顕著かな。

あとこの本の中ではある音楽が生み出された理由が長々と書かれているけど、それって本当なのだろうか。後付けだよと言われればやっぱりなという納得してしまう程度には懐疑的である。大らかな作風とか調和のとれた音楽とか言われても自分には理解できないという面もあるが、ちょっと妄想ふくらませすぎなんじゃないと思わずにはいられない。素人にはわからない世界というのもあるのだろうか。こういうのが理由で高校まで芸術を嫌っていたということを思い出してしまった。