記録 自分用

感じたことや考えたことを書いていきたい。

アリストテレス&ニーチェ連合VS神/「史上最強の哲学入門(神様編)」

前回に引き続いて今回は神に関する哲学史。この前にあった国家編は特段自分にとって新しいことはなかったので割愛。

大まかな流れは

エピクロス→イエスアウグスティヌストマス・アクィナス(スコラ哲学)→ニーチェ

という感じ。

以下個別の感想

アウグスティヌス

5世紀あたりの神学者キリスト教最大の教父。

アリストテレスの哲学がイスラーム圏から流入する前にキリスト教について冷静に考えた人として登場。彼が唯一神に対してのみ冷静に考えたわけではなく、人間一般に対してもいろいろ考えることができたようだ。それまでの努力によって禁欲になり神に近づくという自力救済論に対して、いやそうはいってもねという風に一般人の目線でもの語ったという感じ。いわゆる懺悔。すべてを神の前に告白し神の慈悲によって救われるという考え方は日本仏教にも通じるところがありそう。

トマス・アクィナス

13世紀の神学者アリストテレスの哲学流入後にぐらついた神学を立て直すために哲学と神学の調整に努めた人。

基本的に論理的に考えると全能の神というものが存在しなくなることが買う呈してしまうので、理性や哲学を論理的に考えていったときの矛盾を神に帰属するものとした。

具体的には、宇宙の始まりなんかは実際わからないし、ある事象を引き起こした原因を無限に辿っていくと結局はなにか神のようなものを設定するしかなくなるという感じ。理性の範囲外にある真理については神学でしか回答できないというのは面白い。

ニーチェ

19世紀の哲学者。神は死んだで有名。あと奴隷道徳とか。

トマス・アクィナス以降どんどん信仰を失っていった神に実質トドメをさした人。

個人的には唯一神という考え方をかなりバカにしている節があるのでよくぞ言ったという感じだけど、じゃあ神みたいな絶対的な道徳がなくなった世界で人はどう生きていくのかという考察が鋭い。

人間がただ良き眠りと健康だけを求め日々を無為に過ごしていくというのはまさにその通りで、逆に言えば神が信仰を保っていた時代はそうでなかったのかという疑問こそあれど、まさに人生を何事もなく終えることが至上命題になっている感はある。

そこで大事になるのが超人という概念で、なにかを極めたり強くなったり金持ちになったりしたいという熱い意志(力への意志)をもって一生懸命努力する人のことをいうらしい。

奴隷道徳とか僧侶的価値観と呼ばれるもののもとでは弱いことこそが素晴らしいという価値観に対し、それって結局負け惜しみじゃないのという主張は本当にその通りだと思う。つまるところ酸っぱいブドウであり、金なり名誉なりが手に入るけどどうする?って聞かれたら絶対ほしいと答えるくせにという部分は著者の筆がめちゃめちゃ進んだことを物語る文体でこの章の山だったんだなということがひしひしと感じられる。

ニーチェの部分はよくある自己啓発本みたいだからハマる人にはハマるのかなと思った。ツァラトゥストラ読んでみようかな。